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アルプの人、串田孫一さん逝去[2005.07.08]
山の文学誌「アルプ」や「山のABC」などの山の紀行文や画集、随想家で詩人、哲学者でもある串田孫一さんが、2005年7月8日、午前5時30分、老衰のため死去。享年89歳。山岳文学をはじめ、詩集や画集、随筆。哲学書やペイネの翻訳など活動は多岐にわたり、関連書籍は400点以上。中でも、自著の装丁や挿絵など、子供の落書きのような素描や、貼り絵、コラージュなどの手仕事数々は素晴らしく、アーティストとしての串田孫一もユトレヒトは注目し続けていました。(串田孫一 手仕事の宇宙/2003年)いつかお会いしたいと思ってただけに、本当に悔やみきれません。心よりご冥福お祈り申し上げます。
【→串田孫一】
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フランスの巨匠、アンドレ・フランソワ永眠[2005.04.22]
フランスのグラフィック界の巨匠、アンドレ・フランソワが、2005年4月11日に死去。享年89歳でした。1950〜60年代の企業広告デザイン旋風の最中、同門だったレイモン・サヴィニャックとフランスポスター界の重鎮の座を二分。 CINZANO、Kodak、CITROENなどの広告、NEWYORKER、Graphis、VOGUEなど雑誌の表紙や挿し絵など幅広く活動。「わにのなみだ」「いたずらロラン」など名作絵本の生みの親でもあります。 2002年には、アトリエが全焼し、オリジナルの大半が焼失という失意の中、翌年にはパリのフォルネイ美術館での大展覧会も開催しました。一目お会いしたかった。ご冥福をお祈りします。
【→Andre Francois】
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土曜日8時の帝王、逝く…[2004.03.20]
子供の頃は誰しも夢中だった「8時だヨ!全員集合」でお馴染み、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介(本名:碇矢長一)さんが、3月20日に死去。享年72歳。昨年5月に原発不明頸部リンパ節癌と診断され、治療を受けていた。その後も映画にドラマ、CMでなど活躍。お風呂コントに、雷様、「もしも…」シリーズなど、リーダー自ら体を張ったコントがもう観れなくなると思うと淋しい。子供の頃に知った「いかりや長介はトマトケチャップが大の苦手」という、頭の片隅にあったマメ知識が甦ってきました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
【→いかりや長介】
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さよならブロンソン...[2003.09.02]
アメリカの燻し銀俳優チャールズ・ブロンソンさん(Charles Bronson)<本名:チャールズ・ブチンスキー>が肺炎のため、8月30日ロサンゼルスの病院で死去。享年81歳。代表作は、「さらば友よ」「荒野の七人」「狼よさらば」などの映画で渋みのある男性的な魅力を発揮。1970年男性化粧品のCMに登場し、「うーん、マンダム」は流行語となり、日本のお茶の間の顔となる。ご冥福をお祈りします。
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鬼監督、深作欣二さん死去[2003.01.13]
「仁義なき戦い」「バトル・ロワイアル」などで知られる映画監督の深作欣二(ふかさく・きんじ)さんが12日午前1時、前立腺がんのために死去。享年72歳。昨年末に「バトル・ロワイアル2」の撮影に入ったばかりで、以後長男が引き継ぐことに。ご冥福をお祈りします。
【→深作欣二】
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イタリアデザイン界のマエストロ、アキッレ・カスティリオーニ死去[2002.12.08]
イタリアデザイン界を代表する重鎮にして、現在も活躍を続ける、アキッレ・カスティリオーニが12月2日に84歳で亡くなりました。イタリアのデザイン分野での最高賞とされる「コンパッソドーロ賞」を9回受賞しました。
【→Achille Castiglioni 】
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フランスポスター界の巨匠、Raymond Savignac逝去[2002.11.03]
2002年10月28日、レイモン・サヴィニャック氏が小さな港町トゥルービルにて天に召されました。1907年フランスに生まれたサヴィニャックは
アールデコの巨匠カッサンドルに学び、モンサヴォンで一躍有名なポスタリストに。
50年代から60年代にかけての企業広告デザイン旋風の最中にアンドレ・フランソワと同門で、フランスポスター界の重鎮の座を二分にしていました。享年95歳。とても残念です。ご冥福をお祈りします。
【→Raymond Savignac】
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作家の笹沢左保さん死去[2002.10.21]
ニヒルな叙情を漂わせた「木枯らし紋次郎」シリーズなどで知られる、作家の笹沢左保(ささざわ・さほ、本名・勝=まさる)さんが21日午前2時5分、肝細胞がんで死去した。71歳でした。招かれざる客」で江戸川乱歩賞次席となりデビュー。61年には「人喰い」で探偵作家クラブ賞を受賞するなど、本格推理小説や風俗もの、時代小説などを次々に発表。70年ごろから股旅(またたび)ものを書き始め、「木枯らし紋次郎」のテレビシリーズは、中村敦夫主演で一世を風靡(ふうび)。著作は377冊を超える。
【→笹沢左保】
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「HOW TO SEX」シリーズ、奈良林祥さん死去[2002.09.13]
1919年(大正8年)生まれ。医学博士。
1961年、東京・四ツ谷の主婦会館相談室長に就任し。結婚と性のカウンセリングを昨年まで40年間も続けた。
また、1971年から出版した「How To Sex」シリーズは、当時としては珍しいカラー写真を使い性交テクニックを解説し、計250万部以上売れる大ヒットに。2002年9月12日、老衰のため死去。83歳でした。
【→奈良林祥】
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建築家、内井昭蔵さん死去[2002.08.07]
内井昭蔵さん69歳(うちい・しょうぞう=建築家、滋賀県立大教授)2002年8月3日、心不全のため死去。
早稲田大大学院工学研究科修了。71年、横浜市の「桜台コートビレッジ」で日本建築学会賞。「世田谷区立美術館」で毎日芸術賞(85年度)や日本芸術院賞(88年度)を受賞。93年に落成した吹上新御所の設計も手掛けた。独自の美学や主義に偏った同時代の建築デザインを批判し、「健康な建築」論を展開した。
【→内井昭蔵】
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ナンシー関さん死去[2002.06.12]
日本ただ一人の、消しゴム版画家、エッセイストとしても活躍していたナンシー関さんが、虚血性心不全のため亡くなりました。39歳。
テレビ界や芸能界を題材にした消しゴム版画と、エッセイを文春、週刊朝日などに連載。その批評眼は高く評価されていました。
【→ナンシー関】
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作家・詩人の矢川澄子さんが死去[2002.05.29]
詩や小説、翻訳など多彩な文筆活動で知られる作家、詩人の矢川澄子さんが、長野県信濃町の自宅で自殺。71歳でした。東京都出身。
【→矢川澄子】
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女優の清川虹子が89歳で死去[2002.05.24]
見るもの全てに忘れられない強烈なインパクトを残す個性派女優、清川虹子が肝硬変のため死去しました。 1928年に川上貞奴が主催する児童楽劇団に入り、初舞台を踏んで以来、260本を越える映画に出演しました。 著書も多数あり、日本の古本屋などに登録あります。
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落語界初の人間国宝、柳家小さんさん死去[2002.05.16]
柳家の滑稽噺(こっけいばなし)の大看板で、昭和落語界の芸と精神の大きなよりどころとなっていた、柳家小さんが急性心不全で無くなりました。
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「コンティキ号探検記」の作者、海洋冒険家トール・ヘイエルダール氏死去[2002.04.18]
トール・ヘイエルダール氏はノルウェー南部のラルビク出身。 1947年、いかだの「コンティキ号」で、101日間の航海の末に太平洋の横断に成功し、「南太平洋ポリネシア文化は南米ペルーが発祥」とする独自の説を提唱しました。 その体験をつづった「コンティキ号探検記」は、1948年の出版後、67言語に翻訳され、2000万部を売る世界的ベストセラーになりました。NHK未来への教室の先生を務めるなど、多くの人に親しまれました。
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ビリー・ワイルダー監督死去[2002.03.27]
「アパートの鍵貸します」「昼下りの情事」などで知られる名匠ビリー・ワイルダー監督が肺炎のため米ロサンゼルスの自宅で死去しました。
都会派のコメディーや恋愛ドラマから、社会に鋭く切り込んだシリアスものまでジャンルを問わず、すべて自ら脚本を手掛け多くの名作を世に送り出した。95歳
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物まねの第一人者、江戸家猫八さん死去[2001.12.10]
テレビ創成期のNHK「お笑い三人組」で人気者となり、物まねの第一人者として活躍した江戸家猫八さんが心不全のため死去しました。80歳でした。
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田宮のプラモデルパッケージデザイン、小松崎茂さん死去[2001.12.07]
戦記もの、未来世界などの作品で知られる挿絵画家の小松崎茂氏が心不全のため死去しました。86歳。 メカニック好きが高じて戦艦、戦車などを題材とした挿絵画家に。戦後も少年雑誌の表紙や口絵、プラモデルのパッケージを中心に、戦記ものや未来世界を描いた数多くの作品を発表しました。
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ジョージ・ハリスン逝く![2001.11.29]
元ザ・ビートルズのジョージ・ハリスンさんが脳腫瘍のため、米国ロサンゼルスの友人宅で死去しました。58歳。英国リバプール出身。
元ビートルズのメンバーの死去は、80年12月8日に銃殺された故ジョン・レノンさんに続いて2人目。
最近はレコスケくんなど、ジョージ好きをカミングアウトするのがブームの兆しだっただけに大変残念です。「不思議の壁」サイコー!
【→George Harrison】
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漫画「フクちゃん」の横山隆一さん死去[2001.11.08]
92歳でした。
1932年、若手漫画家らによる新漫画派集団(後の漫画集団)設立に参画、36年から朝日新聞で「江戸っ子健ちゃん」を連載。戦後もこれを引き継ぐ形で、56年から毎日新聞で「フクちゃん」 をかき、71年まで連載回数は5500回を超えました。ほかに「デンスケ」「百馬鹿」など。その漫画スタイルは故手塚治虫氏ら多くの漫画家に影響を与えたといわれています。
【→横山隆一】
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